メモリアル創立記念日創立20周年記念事業≫リチャード脊古氏プロフィール



 小学校三年生の時に日米野球を観戦。アメリカ人の気質にあこがれ、「将来アメリカにわたる」と決意を固め、中学・高校と英語の習得に努める。また、中学・高校時代とも速球派のピッチャーとして名をとどろかせた。
 高校を卒業後、米国マイアミ大学に入学。大学卒業後は一時帰国するが、再び渡米。
 米国住友銀行を経て、米国三菱商事では業務の傍ら、日本の政・財界の重鎮の來米に際して案内兼通訳としても同行し、全米を駆け回る。当時の読売新聞社社主正力亮氏に東京読売巨人軍・駐米スカウトを懇願される。長嶋・王・藤田の各監督時代16年間に渡り、クロマティ選手ら大物大リーガーを日本に送り込んだ。
 八年前、読売巨人軍を退団。現在は米大リーグ機構コミッショナー公認の日本人唯一のスカウトとして、テキサスレンジャーズで活躍中。
 滞米は43年の長きに渡り、野球界はもちろん、他のスポーツ・政治・経済・芸能界など、各分野の著名人からの支持も多く、多方面に日米間の橋渡しとして奮闘中。


創立20周年記念事業にもどる